通勤電車で読む媒体
小 林 生 央(PA会)
私は、この1月から地下鉄通勤となりました。通勤時間約1時間半のうちの半分以上の時間を占めるのが、地下鉄です。地下鉄乗車45分程度をどう有効利用するかについて考えてみました。
電車に乗ってまわりを見渡してみると、新聞を読む人、雑誌を読む人、文庫本を読む人、単行本を読む人、会社の書類らしいものを読んでいる人、携帯ゲームコンピュータで遊ぶ人、電子手帳をいじっている人、ウィンドウズマシーンを操っている人、携帯電話で何か(ゲーム?それともメール?)している人など、さまざまです。
紙資源の無駄を省きたいと願う私としては、どうも新聞、雑誌を購入する気になれません。10年ほど前には、電子ブックなるもの(電子ブックCD及びそれを読めるハードウェア)を購入して持ち歩いておりました。小さいタイプのCDにテキスト情報を(場合によっては音声情報や画像情報も)格納しており、それを液晶表示装置に表示させて読むものでした。電子ブックのCDをいくつか購入して持ち歩き、時代の先端を行く文化人を気取っていたものでした。しかし、持ち歩き始めて数ヶ月たった日に突然具合が悪くなったのです。季節は春。砂ぼこりの舞うころです。ディスクが読み込めなくなってしまいました。電子ブックCDを取り替えてみてもだめ。ディスクドライブがいかれたようです。ディスクを回転させる機構を持つこの種の装置には宿命的なものだとあきらめ、その装置はそれ以来持ち歩かなくなりました。
電子ブックがまだまだ使えるものではないと結論づけた私はその反動でアメリカやイギリスの英語で書かれたペーパーバックを持ち歩き始めました。探偵ものを3日で読破してみたり、ドストエフスキーのカラマーゾフを2ヶ月かけてやっつけてみたりして得意になっておりました。ところが、その後老眼が進んでしまって、細かい文字を追いかけるのが苦痛になってしばらく活字文化から遠ざかっておりました。
メガネを遠近両用のマルチ焦点(焦点が二つあるものではなく、上下の位置が変わるにつれて次第に屈折率の代わるタイプのレンズ)に変えた今、45分の電車通勤時間を得たのをきっかけに電車で読む媒体について再び検討する機会を得たというわけです。結論的にいえば、現在私は、携帯電話会社が提供する電子メール端末(携帯電話に接続してメールを受け取ったり書いたり送信したりする機能を持つ装置)でメールマガジンを購読するという形に落ち着いております。
この種のメール端末は、携帯電話会社から数千円程度で提供されており、自分の携帯電話と接続して使わない限り使えないようなので、電車のなかで万一盗難や紛失があってもダメージが少ないと考えました。私は十数万円もするウィンドウズマシーンを毎日盗難のリスクにさらすことはしたくないし、また、重さの問題もまだまだだと思っています。リブレット(日本国内の著名企業の製造する携帯可能なウィンドウズマシーン)あたりは日常的に持ち歩ける重さをクリアできていると思いますが。
現在私は80通ほどのメールマガジンを購読しております。朝と夕方と二回ほどメールを受信すると、行き帰りの電車の中でちょうど読める程度の分量です。この日本弁理士クラブの会報「日弁」が数十年保管されて後の時代の弁理士さんに読まれることを想定して、ここで西暦2001年8月現在のメールマガジンという文化について説明しておきたいと思います。メールマガジンは、メルマガと省略されて呼ばれることもあります。現時点で日本国の内閣総理大臣は小泉純一郎という方ですが、その方が官邸から発行しているメールマガジンの読者が200万人を超えたということで話題になっております。小泉メルマガの場合は、首相官邸が管理するサーバのエンジンを使って200万人の読者にメールマガジンがインターネットの電子メールシステムを使って週一回木曜日に配信されています。この小泉メルマガと同様に、個人さん又は企業が自分で管理するサーバを用いて発行するタイプのメルマガがいくつかありますが、2001年8月現在で圧倒的に多いのは、いわゆる発行スタンドと呼ばれるメルマガ配信システムを通じて発行されているものです。メルマガ発行スタンドの第一位は、今のところ「まぐまぐ」です。その他にメルマガ天国、メルマ、パブジーン、E-マガジン、ティアラ、マッキー、ココデメイル、カブライト、めろんぱんなどがあります(表記のしかたなど間違っていたらごめんなさい)。メールマガジンの発行者(著者)は、発行スタンドに登録してメールマガジンを発行する予告をいたします。発行スタンドは、広告収入をもって運営され、著者から登録されたメールマガジンの予告を世の中の不特定多数の方にインターネットを介して宣伝します。一般の読者は、その予告の宣伝文句を見て、面白そうだと思うと登録いたします。すると、そのメールマガジンが定期的(毎日とか週に一回とか)にインターネットの電子メールシステムを通じて、無料で送られてきます。そのメルマガの購読を止めようと思うときには、メルマガ発行スタンドのウェブサイトをアクセスして、購読解除の登録をいたしますと、次からは送られてこなくなります。このシステムにおいては、通常メルマガ発行者は、読者のメールアドレスを知りません。発行スタンドのみが読者のメールアドレスを知り、メルマガの送信を管理していますので、読者は発行者からのジャンクメールなどを受け取る危険を回避できます。また、発行者がよくわからない人であってもとりあえず読んでみるという試し読みが気軽にできることになります。各メルマガ発行スタンドでは、そのジャンルをニュース、占い、株情報、コンピュータ情報、小説、音楽、映画などさまざまなものに分けて読者の便宜を図っています。
ちょっと長くなりましたが、これが、2001年8月時点のメルマガ文化の概要です。最近は発行者自ら読者のメールアドレスを知りたいという要望が強いようです。まぐまぐあたりは、送られたメルマガに読者が返信したら発行者に返るようなシステムにしたらしいです。パブジーンは発行者に感謝メールを出すことを進めているようです。フレッツADSLなどという個人でも電話回線を介して常時接続が可能なサービスが始まったため、発行者がみずから読者と接したいという要望が強くなっているのだろうと考えます。
私の場合、80通ほど登録したメルマガで、ニュース、天気予報、語学学習(英語、フランス語、韓国語、スペイン語など)、法律学習、なぞなぞ、クイズ、小説、などを通勤の社内で楽しんでおります。
前述したメール端末なのですが、実は私は、二台のメール端末をその日の気分で使い分け、或いは二台とも持ち歩いたりしています。液晶表示装置が反射型のものと透過型のものです。この時代の弁理士さんには、よくご存知のことかもしれませんが、この会報を数十年後に読む方のために、ちょっと説明しておきます。2001年の現時点では、携帯電話の表示画面、電子手帳の表示部分、ラップトップコンピュータの表示装置などは液晶表示装置が使われるのが通常であり、家庭電化製品としてのテレビ受像機などにも液晶テレビと呼ばれるものが出てまいりました。問題はその表示内容を見るための光を外光に求めるか、その機器の内部に設けたバックライトに求めるかです。外光に求めるものは反射型と呼ばれ、バックライトに求めるものは透過型と呼ばれています。テレビ受像機など、家庭用の電源をふんだんに使えるものに関しては、透過型が普通です。しかし、携帯するための電子手帳などでは、電池の消耗を考慮してバックライトを採用せずに反射型にしているものが多いようです。
私は、最初反射型の液晶表示装置を持つメール端末を使っていました。問題が一つ生じました。地下鉄の電車の中で運良く座席に座れたとき、しかも目の前には立っている人がいるという場合には、天井からの光が届かなくて読めないことがあるのです。地上を走る電車であれば目の前に立つ人がいても外から入る光で読めるでしょう。しかし、地下鉄では窓から入る光がないのでだめです。となると、立ってメルマガを読むか、座って眠るかのトレードオフとなってしまいます。
そこで、透過型の液晶表示装置を持つメール端末をも購入し、電車の中で明るいバックライトにより表示画面を見るようにいたしました。これで座ったときでも楽に画面を読めます。しかし、実は、これにも欠点はあります。充電式の電池なのですが、約1日しか持ちません。毎日充電しなくてはいけません。また、太陽光のもとで透過型の画面を見るのはかえってみずらくて駄目です。外の光が明るすぎて読めないという事態が生じます。
このような事情で、私は今のところ二つの電子メール端末を持ち歩くということになってしまっています。バックライトを消すと反射型として使えるような透過型液晶表示装置があったらよいのにと思うのですが、ひょっとしたらもう現時点で世の中にあるのでしょうか。原理的には、光学系をうまく工夫すれば可能であるように思います。反射ミラーと液晶との間に何らかの光学系を設けてバックライトは横に設ける。反射型の場合には、光線が二度この光学系を通過するのに対して、透過型の場合にはバックライトの光が一度しかこの光学系を通らないことに着目すれば、うまくこのような装置を作ることができるように思います。
一つ大事な前提を忘れていました。西暦2001年8月現在では、地下鉄の走る電車の中からはインターネットに直接つなげるのが難しいのが現状です。地下鉄の駅の多くのところでは、携帯電話やPHSが使えますが、電車が走り出すと切れてしまいます。そこで、私としては、地上にいるうちにメルマガを数十通受信してから地下に潜り、電車の中でメルマガを読むということを実現するために上述の携帯メール端末なるものを用いております。この会報の読者がこの記事を5年後に読むころまでには、地下鉄の走る電車の中から簡単にインターネットにつなげるような環境ができているように祈りつつ。
日々思うこと
黒 田 薫(PA会)
とにかく、時がたつのが非常に早い。同級生が子どもを連れて歩いてくるのを見るにつけ、年月の速さを実感せずにはいられない。ついさっきまで学生だったと思っていたのが、実は社会に出てもう4年目に差し掛かる。
まず、普通の話題についていけなくなってきた。最近のCMやドラマ、全くフォローできていない。最近一番苦手な質問は、「芸能人でいうと誰に似てる?」。芸能ネタは、数年前の知識でとまっている。仕事上では余り困ることはないが、友達と一緒にご飯を食べたりするときは悲劇だ…。
まだ、この業界に入って間もない頃は、ある分野の出願だけ、と一種類のことだけをじっくりできた。しかし、今では、いろんな種類の案件が次から次と期限付きで降ってくる。現在の職場が法律事務所であるため、その仕事内容も顧客の業種も多岐にわたる。元々、色んなことをやりたい!と生意気をこいて職場を決めた手前、わがままもいえないが、時々、周りから取り残されていく自分にため息がでる。
学生のころ、自分の将来像を思い浮かべると、ばりばりと忙しく働きまわている姿と、優雅に南国の海岸あたりで寝そべている姿と、交互のイメージがでてきた。しかしどうも、何かの選択をすべき節目ではいつも前者に近づく選択をしてきたようだ。そして、現在は限りなく前者に近づきつつある。
そこで、南国の海岸で優雅に寝そべる生活に近づけるべく、日々効率的に仕事がこなせる方法を一生懸命考えているのだが、今のところ編み出した方法を恥ずかしながら2つばかり記してみる。
まず一つ目は、できるだけ記憶が新しいうちに、時間の許す限り物事を先に進める、ということだ。例えば、新件の打合せがあったときは、会議の直後に、当該技術分野の背景、従来の問題点、それを解決するための手段くらいを列挙しておく。あるいは、審判と訴訟提起が絡んだような複雑怪奇な長~い会議があっても、その直後に会議で得られた新しい情報を打ち込んでおく。今までは、ある件で会議が終わると、「いやー、終わった終わった!」といって、気分転換にご飯を食べに行ったり、やりかけていた別の案件の続きに移っていた。しかし、それをぐっとこらえて、「いや、まだまだ。」と、まずはパソコンに向かって頭に残っているまだ新鮮な情報を打ち込んでおく。これが後々非常に役に立つことがわかった。打ち込んだ情報が、実際に案件に取り掛かるときに役に立つという物理的なメリットもさることながら、既に自分はこの案件に手を染めているということを実感することが、その案件の敷居をぐっと低くする。この精神的なメリットはかなり大きい。今は、ひたすら、この原稿も依頼があった直後に骨子くらい書いておけばよかったと航海しているところだ。
二つ目は、行き詰まったら誰かに話を聞いてもらう、ということだ。意見書を書くのにいいアイデアが全く浮かばないときや、気の利くクレームが作れないときに、その案件の背景とか、どこで詰まっているのかといったことを人に話してみる。勿論、こういった話ができるのは、所内の人間に限られるが、何人かで議論することでより良い案が生まれることも多いし、話しているうちに自分で解決できることもたまにある。話すことで気分もリフレッシュできる。幸い、当事務所には、こういった相談話を一手に引き受けて下さる顧問の先生がいる。昨年、古希を迎えられた顧問のT先生は毎週2日ほど事務所にお見えになるが、事務所滞在時間の半分は相談話の相手をさせられているように思える。いつもニコニコしながら話を聞いてくださるT先生は、時にはおだて、時には辛らつなコメントを口にしながら、最後にいつもこうしめくくる。「うん。それはうまくいく気がするねえ。」暗示に弱い私は、そっかー、大丈夫なんだー、とのせられ、さっきまでの行き詰まりはどこへやら、気が付くと本当にできてしまっていたりする。
あと何十年か後にこの原稿を読んで、できれば、南の島の美しい海岸あたりで寝そべりながら、ああーあの頃は大変だったなー、と思えることを願いたい。そう願いながら、今日も積み重なった山をひたすら片付けていく。
私の机から、煌々と輝く銀座4丁目のネオンが見える。しかし、こんなに近く見えるのに、何とも遠く見えるのは気のせいだろうか。
企業内弁理士について
小 塚 敏 紀(春秋会)
私は、昨年まで企業の知財部門で企業内弁理士として働いていました。企業内弁理士は、日本弁理士会のなかで少数派です。企業内弁理士がどのような仕事をしているかを理解していただくために、過去の私を振り返り、企業内弁理士について語ります。
企業内弁理士の仕事も特許事務所の弁理士の仕事も、発明の発掘に始まり、出願をし、登録をうけ、権利の有効活用を図るという点で、大きな差はありません。形式的には、企業内弁理士は当事者の立場で作業するのに対し、特許事務所の弁理士は代理人の立場で作業するという点が異なっています。しかし、企業内では知財部が技術部門に対して代理人的スタンスをとるので、この差は実際上大きな差ではありません。
実務上、異なるのは、企業内弁理士が自分の勤める会社のビジネスを常に意識している点でしょう。例えば、発明の発掘段階では、発明のテクニカルバリューよりコマーシャルバリューを気にします。特許庁審査官がどんなに感心する様な発明でも、儲けにつながらない出願は無意味です。会社がどんなビジネス形態が得意なのかを常に考える必要があります。例えば、会社が仕込み生産型か受注生産型かを考えます。大量生産が前提の発明を受注生産型の企業が出願するのは無意味です。しかし、社長の方針で、その方面に乗り出そうというのなら別です。また、どんなに権利範囲が広いクレームであっても、会社のビジネスストラクチャーにマッチしないクレームはこまります。ビジネスストラクチャーとは、企業が儲けるための構造です。例えば、企業が製品全体を売るのか、一部の部品を売るのか。また、販売しようとしているのか、レンタルしようとしているのか、または自社で実施しようとしているのかをいつも気にしています。誰が製造して誰が販売するのかも考えなければなりません。また、どこで生産するのかも大切です。メンテナンスで儲けている商品をメンテナンスフリーにする発明をしたら会社は儲けられなくなります。将来、権利行使することとなった時、誰をターゲットにするのかも重要な検討事項です。自社のお客や自治体や政府を訴えることなど考えても事実上無意味です。
企業内弁理士のもうひとつの主要な作業が、係争の未然防止と係争の処理です。99%の作業は、係争の未然防止に費やされます。企業にとって、係争は費用がかかり、知財部員を疲弊させ、設計業務に邁進してほしい技術屋の時間を浪費し、場合によっては会社の志気を減退させます。係争をやりたいと思っている知財部員はいないと思います。火の粉をかぶる心配のない外野からは、けしかける声が出ますが。ただし、自社に理があると信じるときはいつでも戦う気があります。想像ですが、裁判になっている事件のほとんどは、両社とも自分が勝つと100%信じているのでしょう。それが、知財係争の難しい点だと思います。火が立つ前に係争の種を消してしまうことができれば、重大な事態にならないですみます。ところで、係争の未然防止がうまくいくと重役会の話題になりませんので、知財部門の存在が希薄になるというジレンマがあります。外国企業が訴えてきて、米国での裁判で数十~数百億円の損害賠償金をはらったら、知財産部門の地位も上がるのにと考えていたのは私だけでしょうか。
いざ、係争の火の手が上がってしまった場合、現実の係争は、弁理士試験に出るような簡単なものではありません。事件の当事者が2社だけなどということはほとんどありませんし、営業での力関係や業界でのつきあいやもろもろの事情がもつれあって、奇々怪々な様子を呈することがままあります。それらを丁寧にほぐして問題の所在を明らかにするのが社内弁理士の仕事のひとつになります。場合によっては、冷酷に理屈っぽく事件を分析すると意外に問題が簡単になります。やりすぎると、社内に敵を増産する恐れがありますが。そして係争の未然防止と同じく、係争の処理とは、法的に白黒を付けることではなく、火の手が消えることです。問題の所在がはっきりすれば、後は営業の力関係で処理する場合もあれば、クロスライセンスで処理をする場合もあります。場合によっては、ほおっておいたら、相手が何も言ってこないので、何年もそのままのうちに権利が満了したなどということもあります。
そして、企業内弁理士の仕事であるのが、契約書の作成や、契約書の文面の解釈です。契約書の作成であっても、過去の契約書に縛られているのがほとんどです。知財関係の契約書ですと知財部員が作成しています。先輩(ほとんど非弁理士)達がつくった契約書の文面を斜めにしたり逆さまにしたりして読み解き、独自解釈をしながら、あたらしい契約書を作成します。
社内弁理士は知的財産法の専門家と思われています。社内の人は弁理士が不競法や著作権の専門家でもあると信じていますので、期待を裏切らないように、工業所有権法以外にも目を配っている必要があります。このように、知財部門の作業では、工業所有権法の知識だけは間に合わず、民法(時には商法)の一般常識を必要とします。
今後弁理士の数が増加すれば、企業内弁理士も増加し、日本弁理士会のなかでも多数派を形成するようになるのではないかと思っています。肩身の狭い思いをしている企業内弁理士よ、がんばって。
ところで、最近、企業のトップは知財部門に「知財でいかに儲けるか」を問い掛けています。これまでの知財部門は、そのようなことを考えずにひたすら特許出願件数と特許権の数を競ってきたのですから、この問い掛けに答えられないでいます。企業の出願を代理する特許事務所の弁理士はこのような知財部門をサポートするんでしょうか。それとも「自分の仕事ではない、あなたの仕事だ。」と突き放すのでしょうか。特許事務所の弁理士となった私は悩んでいます。
山 登 り
江 原 治 男(春秋会)
空には、見渡す限りの星の数々。
その壮大さは、なんと表現したらいいのか言葉が見つからない。
都会に住む我々が、忘れてしまったものなのかもしれない。
これは、今年の夏、念願の北岳に、テントを担いで登ったときに、肩の小屋から見た夜空の光景だ。
年齢を重ねるにしたがい、どうも人工的なものには抵抗を覚え、自転車で行けるところは、自転車で行き、歩いて行けるところは、歩いていく。そんな、生活が心地よいと感じるようになってきた。
そんな気持ちの変化からか、4~5年前から子供達(長男と長女)を連れて奥武蔵、丹沢、富士山といった山に行くようになった。
子供達を連れて初めていった山は、奥武蔵にある伊豆が岳だ。西武池袋線の正丸駅から伊豆が岳、子の権現を経て、吾野駅へ至る縦走コースで、大人には、楽なコースなのだが、当時4歳だった長女には、たいへんなコースだったようで、少し無理をさせてしまったのだが、そんな初めての山登りも長女にとっては自信につながる山登りになった。
おととしの夏は、子供達にとって、初めての山小屋泊まりを体験した。丹沢のヤビツ峠から入り、三の塔を経て、塔の岳に登った。
真夏の塔の岳は、思いのほか登山者が少なく、山小屋も貸切の状態だった。子供達が、初めての山小屋にすごく興奮していた。
塔の岳山頂からの日の出はすばらしく、朝もやの
中、浮かび上がった富士山の美しさには、ただただ
感動を覚えた。
富士山には長男と2人で挑戦した。当日は、家を昼前に出たのはよかったのだが、都内と御殿場で渋滞に巻き込まれてしまい、須走登山口に着くのが、夕方の6時になってしまった。それでも、1時間の準備で、高度順応という一応の儀式も終え、夜の7時には、登山を開始した。
登りながら、上を見ると、懐中電灯を照らしながら登る人の列や山小屋の明かりが山頂まで続いている。下を見ると、灯りの列が、自分のところから遥か下まで続いている。とても不思議の光景だった。夜なのに列を作って登っている人がこんなにいるということが。5時間くらい登ったところで、長男が眠くなり、寒さも手伝ってか、フラフラになってしまったので、8合目の山小屋に泊まることにした。翌朝は、お約束の日の出を、山小屋の前でたっぷりと鑑賞した後、登山を再開し、10時前には山頂にたどり着くことができた。
下山は、楽しみにしていた砂走りを、砂煙を上げながら駆け下り、そんなこんなで須走登山口には、あっと言う間に戻ってきてしまった。
1年に2つか、3つの山を子供達と登るというのが、恒例行事になっているが、今年は、まだ登っていない。秋に、雲取山に山小屋泊まりで行く計画がある。
また、末娘が、山登りデビューの4歳になったので、冬になる前に、奥武蔵のどこかの山を、登ってこようと思っている。
弁理士用麻雀
吉 井 剛(南甲弁理士クラブ)
麻雀をされる先生は、以下をご一読頂ければ幸いです。
私たちの間ではやっている、三人麻雀をご紹介致します。実におもしろく、時間のない弁理士にとっては最適で、また頭を激しく使い、スピーディーな判断が出来ない者は勝てない弁理士用麻雀です。
ルールは基本的には通常の麻雀と全く同じです。但し、マンズの2~8を除きます。ちなみに今の電動麻雀卓はマンズの2~8を除いた3人打ちに簡単にセットできます。
点棒は1万6,000点持ちで始め、東南回しで終わりです。尚、つもり上がりは当然一人分少なくなります。従って、子のマンガンのつもり上がりは、親から4,000点と子から2,000点の計6,000点です。つもり上がりは決して喜べません。あくまで一人をパンクさせないといけないからです。子のマンガンを3回つもっても、親は3回で12,000点払いですが、親のマンガンの直撃は1発でその人を12,000点へこませられるのです。
この三人麻雀の基本事項は次の通りです。
<基本事項1>
点数は1点いくらではなく、パンクでいくらという計算になります。具体的には、・・・-5,000点~+4,900点、+5,000点~+14,900点、15,000点以上というように、1万点きざみとし、この1万点きざみを例えばaポイント(これを基本単位といいます)とします。即ち、+5,000点~+14,900点はaポイントの払い,-5,000点~+4,900点は2aポイントの払い,・・・となります。
従って、例えば誰かが8,000点しか持っていない時、子のハネ満12,000点を振り込んだら、-4,000点のパンクとなり、2aポイントのマイナス、もう一人が5,000点~14,900点までの間なら、aポイントのマイナスで、トップが3aポイントもらえることになります(15,000点以上あれば払いはゼロポイントです。)。
100点でもあれば、当然パンクではありません(ちょうど点棒がゼロでもパンクではありません。)。但し、1,000点ないとリーチはかけられません。
尚、100点しか持っていないところで、親のハネ満を振り込むと-17,900点となり、-4aポイントとなります。従って、数百点しかないところで、役満を振り込んだら大変です。
<基本事項2>
トップの人が3連勝すると、3連勝目から残りの二人からボーナスとして基本単位aポイントがもらえ、4連勝は基本単位×2(2aポイント),5連勝は基本単位×3(3aポイント),・・・とボーナスがつき、あるとき連勝は途切れるのですが、連勝阻止者には1つ前のボーナス、即ち、5連勝阻止者には4連勝時のボーナスであった基本単位×2(2aポイント)が残りの両者からもらえます。
<基本事項3>
東の1局で、即ち、親が親である間に誰かをパンクさせたらボーナスとして両者から基本単位aポイントがもらえます。例えば、親が親マンを一人から出上がりし(残り4,000点となる)、次に、親マンをリーチをかけてつもると当然1本場ですので4,100点となり(1本場は出上がりで300点。つもり上がりは一人から100点。但し、リーチをかけた場合しか本場分はもらえず、つまれたリーチ棒もリーチをかけて上がった人しかもらえない。)、先程親マンを振り込んだ人は-4,100点となって、100点不足のパンクとなり、パンクの2aポイントの他に基本単位aポイントのボーナスを両者からもらえます(親マンを振り込まなかった人は、11,900点となりますので、aポイントを当然払わないとダメです。)。
<その他>
裏ドラはチップとしてネクストで、チップ1枚は基本単位aの半分のポイント、リーチ一発はチップ1枚、役満はチップ8枚(つもったら4枚ずつ、振り込めば振り込み者のみ8枚)です。
パンクであろうが、最後までいって終わりとなろうが、トップのみがもらえ、2位は関係なしです。但し、2位が2万5,000点以上持っていたら、ビリ(パンク者)からトップがもらう額をトップと半分にします。つまり、誰かがトップの時、自分がもう一人の人から上がってもそのトップの人をぬけない場合は、そのトップの者の為に上がっているようなものです。但し、自分が1万5,000点を越えれば少なくともマイナスはなくなるので、この意味で自分の払いをゼロポイントにしてこの回を終わらせる為、上がらざるを得ない場合もあり得ます。
以上、この弁理士用三人麻雀を一度お試しあれ。
写真と意見書
土 生 真 之(南甲弁理士クラブ)
最近、趣味で写真を始めました。きっかけは、ある映画を見たことでした。一ノ瀬泰造という26歳の若き戦場カメラマンを描いた作品です。作品中、彼は、銃撃が飛び交う中、機関銃の代わりにカメラを抱え一心不乱にシャッターを切り続けます。そんな、彼の姿はエネルギッシュでとても魅力的でした。そして、何よりも彼の残した写真はリアルで力強いものでした。
その映画を見た翌日、私はカメラ屋に足を運んでいました。
今まで、カメラといえば記念撮影程度にしか使ったことは無かったのですが、これを記録の道具としてではなく、表現のための道具として使ってみるとなかなか面白い発見があります。
写真というのは、シャッターを切れば、目に映ったものをそのまま写し出すものかと思っていたのですが、実際は、そうではありません。絞り・シャッタースピード・シャッターを切るタイミング・構図等様々な要因が影響を与え、出来上がった作品は目に映っていたものとは全く印象が異なることも少なくありません。
写真を撮るということは、時間と空間を切り取る作業ですが、これが上手くいったときには、シャッターを切った瞬間の雰囲気というか、ライブ感というか、そういった目に映る以上のものが写真に写り込みます。こういった作品ができたときには背筋がゾクゾクするような感覚を味わえるのですが、まあ、腕が未熟なせいもあって、なかなかこの感覚を味わうことは出来ません。
でも、私にとっては、思い通りにならない、このギャップが何と言っても写真の魅力なのです。
写真を始めて知ったことなのですが、「写真は引き算」という言葉があるそうです。つまり、自分の写したいもの、表現したいものと関係のないものを出来るだけフレームの中から省いて、本当に表現したいものを際立たせるという手法です。これを、欲張って、フレームの中に何でもかんでも入れてしまおうとすると、自分の写したいもの、表現したいことが結局ぼやけてしまうというわけです。
ただ、何を残して何を省くかというのは難しいもので、省きすぎても写真は、つまらないものになってしまいます。例えば、空に浮かぶ雲の大きさを表したい場合、雲だけを写したのではその大きさは表現できません。雲の大きさと比較できるものをフレーム内に残すことによって、その大きさが伝わってきます。
この引き算の理論は、私たちの日常業務にも通じる点があるように思えます。弁理士の業務は、意見書やレター等の文章を書くことが大部分を占めていますが、写真と同様に我々の書く文章もやはり引き算が重要ではないかと思うのです。特に意見書等では自分の伝えたい主張を際立たせるために、余計な主張を削ぎ落としていく作業が必要です。
簡潔で要点を押さえた意見書というのが私の理想なのですが、(特に自信の無いときには)余計なことを書きすぎたり、逆に削りすぎたりしてしまい、拒絶査定を貰った後で後悔することも少なくありません。
どうやら、写真だけではなく、本業の方の腕前もまだまだ未熟のようです
それにしても、論理の分野の意見書と感性の分野の写真に共通点があるというのは、なんだか不思議なものです。
私が受験生だったころ、ある先生が「論文はアートだ。」と仰っていたのを思い出しました。その時は、教室の皆がキョトンとした顔をしていたのですが、今になってみるとその言葉の意味も分かる気がします。
写真と意見書に共通点があるのなら、写真のセンスが磨かれれば意見書の腕も上がるかもしれません。逆に、意見書の腕が上がれば写真の腕も上がるかもしれません。
そう都合良くいくものかどうかは分かりませんが、ともあれ、写真の分野と弁理士業の分野の両方で芸術的な作品を生み出すことが目下の私の目標です。
名 古 屋 弁
伊 藤 浩 二(南甲弁理士クラブ)
実は私、バイリンガルです。といっても、話せる言語は、「標準語」と「名古屋弁」なんですが。
私は大学入学と同時に上京し13年間東京で生活した後、名古屋の実家に帰郷して現在に至っています。さすがに13年東京にいると私の中から名古屋弁が消え去り、もう完全な名古屋弁は話せなくなっているものと思っていました。ところが、不思議なもので名古屋に戻り、名古屋弁に接してみるとほぼ完全な形で私の中から名古屋弁が蘇ってきました。
もっとも、名古屋にいれば、いつでも名古屋弁を話しているのかというと実は意外と話す機会は少なく、名古屋にいても標準語を話す機会のほうが多くなってきているのが現状です。その理由の1つとして、テレビ等のメディアの普及、交通手段の著しい発達に伴って、名古屋も他の地方と同様、方言自体が消えつつあり、いわゆる標準語化現象が起きていることがあげられます。また、日経新聞(平成6年1月12日)に名古屋人の特徴について記載された面白い記事が掲載されていたので抜粋しますと、名古屋人は初対面の人や職場、学校などの公式の席では標準語を使って上手に応対し、仲間内や家庭では名古屋弁でコミュニケーションを図るという具合に、巧みに2つの言語を使い分けることができる人が多いそうです。すなわち、そもそも名古屋人というのはバイリンガルとしての素養を持ちあわせた人が多く、必然的に日々の生活では標準語を話す機会の方が多くなってしまうようです。
従って、何年か前にタモリによって、名古屋弁の「みゃぁ みゃぁ」という発音がいささか大げさに取り上げられ、全国に誇張された形で知れ渡りましたが、最近では「みゃぁ」という発音は名古屋でもほとんど聞くことができなくなってきています。とはいえ、この「みゃぁ」という発音は名古屋弁の基本であり、名古屋弁をマスターするには必須の音ですから、ちょっと解説しておきますと、この「みゃぁ」という音、正確には「えぁ」は、なんと英語の発音「?」と同じ音なのです。そして、形容詞、動詞のみならず名詞にも使うことができ、さらに驚くべきことにカタカナの名詞にまで使用可能なのです。例えば、ハイライトというタバコがありますが、これを使って用法を説明すると、標準語で「外人がハイライトを吸っている。」が「ぎゃぁーじんがヒャァーリャァートを吸っとる。」という感じになります。また、この「えぁ」の音をさらに深く考察すると、この音はむやみやたらに用いられるわけではなく、「あい」という二重母音の場合にのみ「えぁ」に変化するということらしいです。例えば、「甘い」は「あみゃぁ」に変化するのですが、「甘納豆」は不思議と「あみゃぁなっとう」には変化せず、「あまなっとう」のままなのです。
ついでに、上記例で「・・・吸っとる」という言葉がでてきたので、「とる」についても説明します。この「とる」は、名古屋弁には絶対不可欠な単語で今でも名古屋で頻繁に使われています。おそらく、名古屋では「とる」は標準語と思って使われているのではないかという気がします。そのぐらい頻繁によく聞く言葉なのです。ちなみに、名古屋人の中には、この「とる」に続けて「ます」を付けると敬語になると勘違いしている人も多く、例えば「やっとります」とか、「待っとります。」と目上の人に対して使う場面を何度も目撃しております。
なんか乗ってきたので、どんどん続けますが、私のクライアントには、年配の中小企業の社長で根っからの地元名古屋人という方が何人かいます。そして、その方たちと話をする時は、たとえ仕事の打合せと言えども名古屋弁が主役になります。このような場面では、名古屋弁のヒヤリングがほぼ完璧にできていることが必須であると共に、ある程度は名古屋弁を話せることも重要になります。なぜなら、方言というのは、その土地特有の微妙なニュアンスも表現されていますから、同じ言葉で会話をしないときちんとしたコミュニケーションを図ることができないからです。例をあげますと、名古屋弁と東西の言葉とを比較する場合によく引き合いに出される言葉として、「たわけ」というものがあります。これは、関東の「ばか」、関西の「あほ」という言葉と同義で、人を罵倒する場合に用いられますが、わりと軽い気持ちで使われる場合もあります。従って、「たわけたこと言っとってかんぞー」といわれると、おそらく名古屋弁を知らない人ならば、かなり怒っているのかなと思うかもしれませんが、実は「何言ってるんですか」くらいの軽い意味しかもっていません。逆に、名古屋で「ばか」という言葉が発せられた時には要注意です。この場合は、かなり強く罵倒されているものだと思った方がよいと考えてください。
名古屋弁について語り始めると止まらなくなってしまうので、このあたりで最後としますが、名古屋弁の中でも、かなり全国的に知れ渡っている言葉に「どえりゃー」というものがあります。これは、標準語の「非常に」という副詞に対応する言葉であることは皆さん知っているかと思いますが、この言葉は使う年代層によってかなり変化します。例えば、老人が使う場合、「どえりゃあぁー」とあたかも地響きが起こりそうな勢いで発せられ、中年以上の人が使う場合には、これが「でぇーらぁー」と甲高い声で感情を込めて発音し、さらに若者になると「でらぁ」と短く小さな声で発音します。なぜ、このような年代による変化がみられるのか定かではありませんが、やはり、これも次第に方言が消えていく現象の一つの表れなのかもしれません。
ちなみに、冒頭で私はバイリンガルであるなどと大層なことをいいましたが、近頃、2言語を明確に使い分けることができなくなってきました。すなわち、自分では標準語に切り替えたつもりでも、その節々に名古屋弁が混じるようになってきたのです。このペースでいくと、おそらく10年後には、私の標準語は消滅し完全な名古屋弁ネイティブスピカーとなっていることでしょう。
江戸川温泉日記
香 原 修 也(無名会)
締め切りはとっくに過ぎているもののネタはない。夏休みに課題として与えられた日記を、8月31日にまとめて記す子供さながらである。
今年の夏は、諸般の事情により海・山・川などへ遠出すること叶わなかったが、それでは子供もかわいそうだし、自分としても納得できない。そこで、少しでも旅行気分を味わおうと、近場で済ませた温泉?探訪のご報告である。
所は東京江戸川区。都営新宿線船堀駅から徒歩数分の地にある「東京健康ランド」を娘と二人で訪ねた。本当に日記を提出・開示しなければならない子供にとっては、やや恥ずかしい場所であろう(実は親としても恥ずかしい)。が、四歳児にはハワイも熱海も江戸川も同一の筈だ!
浴場系の施設としては大きい方だと思う。後に首都圏で初めてできた健康センターであることを知り納得。風呂の種類にしても、露天・打たせ湯・薬湯・檜風呂・泡湯・ジェットバスと豊富でプールもある。サウナは当然のこと、温度がやや低めの塩サウナも気持ちよさそう。塩(受付で別売り)を体に塗り、サウナ内でマッサージをするのだそうだ(未経験)。その隣には垢スリコーナー。別料金ゆえ、こちらも未経験(せ、せこい…)。
お風呂ラインナップの中核を成すのが「北海道二股温泉」と題された炭酸カルシウム温泉。何故か娘もこれがお気に入り。この地に源泉がある訳ではなく、何らかの技術的思想の下、温泉的効果が担保されている様子。その証として壁面に特許番号が掲示されている(請求範囲は未確認)。なお、ここからほど遠くない銭湯(江戸川区船堀の乙女湯)には「天然温泉」が湧いているそうだ。
一風呂浴びた後はやっぱりビール。娘のムームーとお揃いのアロハ(お客さんのみんなとお揃い)を着て大広間へ。当施設はお風呂以外の設備も良好である。何せ、宴会場にステージまで設置されているのだから。
前出の娘(長女である)と一緒に、ステージへ向かって最前列の卓をキープ。二人で宴を催した。この大広間には、寿司専門カウンターや焼き肉コーナーも併設されているので、いつかは試してみたい(ささやかな夢か)。 ステージでカラオケを歌うお客さんにもこまめに拍手。「お父さんはこの曲知ってる?」との問いに対し「知らないなぁ・・・・」と繰り返すこと数回。会話が平和だ。通常経験しているカラオケにありがちな不健全さが全く感じられない。時間帯・同伴者の違いを痛感した。
ほろ酔いになったところで、普段の疲れを癒すため娘にある希望をうち明ける。「父ちゃんマッサージいきたいんだけど、おとなしく待っていられるか?」。「うん、いいよ」。とてもいい子だ。でもなんか情けない父親だ。そして彼女は40分間、うつぶせになっている父の隣で耐えた。持参した「長靴をはいた猫」をマッサージ師に読み聞かせながら。この朗読はまた、父を深い眠りへと誘うものでもあった。終了後、師曰く「私、このお話初めて聞いたわ…」
ご褒美として施設内ゲームコーナーへ。しかし四歳の子ができるゲームは少なかった。ここにはアーケードゲームのほか、卓球台・ビリヤード台もあるが、何れも娘には厳しいと判断。映画コーナーも暗くて恐がりそうなのでパス。娘にエステティックを施す気にもなれず、父は調子に乗って大それたことをやらかした。
中国伝統の「足部健康法」いわゆる「足裏マッサージ」(痛いやつ)だ。余程疲れているのか、やたらと「健康」や「癒し」といった文字に惹かれるのである。一日中マッサージばっかりで果たして体に良いのだろうか、と躊躇しつつも、先ほどの「よい子現象」に安堵した父は、「また童話を読んであげたらぁ?」などと甘言を弄し、自己の快楽のみを追求するのであった。そして彼女は、再び30分耐えた。父も痛みに耐えた。今度は「英国式」のマッサージにしよっと(痛くないやつ)。
この間、数回お風呂に入ることを重ね、滞留時間は約6時間。あの雰囲気を良しとしない人も多いだろうが、渋滞知らずの疑似温泉宿旅行を十分堪能できると見た。ちなみに駐車場は完備しており、JAFカードを持っていると割引される。貸し切りの個室もあるので、裸のつきあいを前提とした商談にも利用できそうだ。
以上が「東京健康ランド編」だが、実はこれに対抗(?)する温泉が近所にある。というより、我が家からはこちらの方が近い(徒歩3分)。確かに自称温泉好きではあるが、これらの施設を目指して住み着いているわけではないので念のため。江戸川の温泉ついでに、こちらも紹介しておこう。
その名は「ラジウム温泉保養センター砂風呂・泥風呂」。当該役務の内容がそのまま出所表示となっている施設だ(もっとも「東京健康ランド」も識別力に富むとはいえまい。)。が、最寄り駅(一之江や葛西)からタクシーに乗り「ラジウム砂風呂まで」と指示すれば、間違いなく送り届けてくれる。即ち識別標識としては十分機能しているのである(近郊で他にこの標章の使用者がいないことは明らかだけど)。
当の施設は天然のラジウム鉱石をふんだんに用いたラジウム泉である。どこが「ふんだん」なのか詳しくは説明しかねるが、とにかく雰囲気的に「ふんだん」なのだ。こればかりは体験して頂くしかない。但し、既述の健康ランドに比し、かなーり「マニアック」である。しかしながら先の長女は二歳時から数回お世話になっているし、その前を通る折(幼稚園へ通う途中)、「また砂風呂行きた~い」などと言っているので何ら恐れることはない。
こちらのメインメニューはラジウム鉱石を砕いた砂に埋まって発汗を促す「砂風呂」。ただ、鉱石を砕いている関係上、「砂」と言うよりは「砂利」に近い。その「砂利」の中に体を埋めてもらうのだが、サウナとはまた違った意味で辛い(熱い)。且つ、(大昔の記憶であるが)海辺で砂浜に埋められている時よりも「重い」。一見すると心臓には悪そうな印象だが、話によると血流の活性化にはむしろ良いとのこと。確かに全身の血管から毒素が抜けていくかのような感覚を得ることができる。余談だが、千葉県の白子には普通の砂風呂があるそうで、こちらもすこぶる快適という噂である(未経験)。
わたくしはキューリー婦人を思い浮かべるくらいしかできないが、ラジウム線は人体に大変良いのだそうだ(各種神経系の疾病・糖尿病等)。但し「天然もの」に限る。ラジウムの溶解度は温度に反比例するそうで、真っ黒な「泥風呂」の方は水風呂のように冷たい(が、何故か心地よい)。需要者層も、子供連れでエンジョイというよりは湯治客風だ。ちなみにこちらの所長さんは、皆に「先生」と呼ばれている。それだけでなんか凄そう!効能等については、求めればいくらでも説明してくれる。なお各種鉱石を通過させた美味しい水の持ち帰りができるので、ペットボトル等を持参するとよい(でっかいポリタンを持ってくる人もいる)。
以上が今夏の風呂日記である。近隣にはご家族向け入浴施設がまだ多数ある様だし、実家方面(東京都小平市)でも温泉が湧いたそうだ。無論それらも開拓するつもりだが、子供たちが同行してくれるのは何時までであろうか。
以 上
川 の 交 差 点 ―川が潜った!関東平野の川を中心に―
池 田 仁 士(無名会)
皆さんは、東京の地図を広げて、総武線が荒川(放水路)を渡る近くで他の川(実は中川)とクロス(十字交差)しているのを見て、?と感じないだろうか。そこは、①川がぶつかっている。②川が潜っている。③川が飛び越している。のどれか?
実はそこは、中川が堰止められているのである(実際には水門があり、新たに掘られた中川により、荒川に沿って流れている)。昔の旧中川が新しい荒川放水路(明治後期)によって分断されたものである。答えは①。
通常、①として分流、合流はごく自然な川の状態であるが、十字状は運河でない限り中々に珍しいものである。
江東区の川はその殆どが運河であって、昔は舟運に利用され、東西方向に竪川、小名木川、仙台堀川が並び、南北には横十間川、大横川が並び、それらが互いに交叉しており、十字形の歩道橋も架かっている特異な光景に出会ったりもするものである。
***
次に、②と③に付いて話を進めたい。
関東には随分と大規模な用水路(上水、農業)が多く、それらは、家康の江戸開府とともに着手されたもので、神田上水、玉川上水、見沼代用水と次々と開発された。その内今でも現役の農業用水路である見沼代用水は、行田市近傍の利根川右岸から発し、関東平野を南下する道程で幾つかの大きな河川と交叉する地点で②の「潜り込み」をやっている(土木工学(Civil Eng.)を専攻した私にとってはこれは大きな驚きで、どうも農業土木のお得意領域のようである)。
つまり、北から、星川(菖蒲町)、元荒川(菖蒲町)、綾瀬川(蓮田市、東北本線沿い)、芝川(大宮市、大宮操車場脇)と潜り抜けつつ本流は走り、またその東縁は毛長川(川口市、足立区)で潜っているのである。この内綾瀬川の光景は、見事なもので、のんびりした田園風景の中にこのような特異な工作物があろうとは妙に異次元にいる感じがする。
その他、私が関東平野を探してみたら、久喜(JR東北本線)近辺の縦横に設けられた用水路に潜り川を陸続と見つけた次第である。
これは、サイホンの原理を利用したもので、江戸時代から施工されていたと聞き、当時の土木技術の水準の高さに感服した次第でもある。
この潜り川は、下水道流路では「伏越し(ふせこし)」と呼ばれ、同じく地表の河川と交叉する所では随所に設けられている。しかし、その全てが地下にあるので、一般には目に着かない。
なお、地図からこの潜り川を推察し、それを実際に行って確かめることが私の楽しみではあるが、時には、川に見紛う道の表示であったりして、失敗もある。
***
それでは、③の川が別の川を渡る場合はあるのか。昔はそれなりに多くあったらしいが、今はあまり見かけなくなった。
JR・中央線に「水道橋」があるが、それは昔にその場所に神田川から引かれた水道橋が架かっていた名残である。お茶の水駅から下に見える川(神田
川)は掘り開かれたものであり、その上空(駅より上)を水道橋が渡っていたのである。玉川上水に付いては、四谷を抜ける道(甲州街道)の橋の横に水道橋が架かっていたことを想像すると楽しい。
この渡り橋は今ではいわゆる水道管橋となっており、水道管路が河川を渡るとき、一旦立ち上がって川の上空を渡っている構造を採る。この場合、必ず管路の中間部に突部(空気弁)が出ているのが特徴である。これは街中至る所にみられる。
無粋な水道管橋に比べ、古代ローマの水道橋は何とロマンチックなことか。
***
最後に、川に付いて日頃思うこと。
川の自然法則として、その地域の一番低い所を通り、更に低い場所を目指して流れるものの殆ど水平を維持する。この川の特性を知っておれば、街が如何ように変容しようが、仮に小さな川といえどもその名残は決して消えない。川を無視した無残な変容か、川を取り込んだ調和のある開発かは、要は人の知性・品性に係っていると思う。
以 上
米国商標法セミナー
須 永 浩 子(稲門弁理士クラブ)
1.平成13年2月
「須永さん、アメリカの研修行ってみない?」事務所の先輩から、こう声をかけていただいたのは今年の2月の初旬、弁理士会の新人研修に出席後、事務所に戻ってきた夕方のことでした。
事務所の方々から、米国研修の話は聞いてはいたものの、まさか自分が合格したばかりで(まだ合格して4カ月)海外研修に行かせていただけるとは考えてもいなかったので、大変驚きました。
弁理士会の新人研修の最中で、まだ殆ど実務に携わっておらず、従って経験もなく、また、米国の商標法に至っては「使用主義であること」位しか思い浮かばない程度でしたので、こんな状態で参加しても大丈夫なのだろうかと不安も大きかったのですが、それ以上に、せっかくなので、勉強しに行ける時に勉強しておこう、現地でのセミナーは今後絶対に役立つに違いないという気持ちの方が強く、無謀ながらも参加することにしました。
2.平成13年3月
研修は3月の中旬からワシントンDCにある法律事務所で行われました。今年は例年よりも寒く桜の開花が遅れたようで、残念ながら日本から送られたという桜の花を現地でみることは出来ませんでした。(満開になるととても見事だと聞いています。)
セミナーは今回の研修を主催する法律事務所の一室で行われました。その法律事務所は、ワシントンDCの中心部から離れた場所に位置し、交通の不便なところにありました。他の参加者は全員同じホテルに宿泊していたため、そのホテルから研修場所である事務所まで、送迎バスが出ており、少し離れた場所に滞在していた私は当ホテルまで、毎日地下鉄で通いました。
私の滞在していた場所はそのホテルから地下鉄を一度乗り換えて全部で8駅目位のところにありました。初日のセミナーは夜7時からの歓迎会から始まる予定でしたので、当日一人で地下鉄に乗ってホテルに向かったのですが、地下鉄で事故があり、電車が大幅に遅れていました。そのため不運にも初日は送迎バスに置いていかれてしまい、ホテルに着いたのは、他の参加者が出発した後でした。
二日目は昨日の失敗を繰り返さないため、現地に集合時間の一時間前に到着し、他の参加者を探しました。どうにか他の参加者に合流することが出来たのですが、一人で勝手がわからずきょろきょろしている私のことを気にかけて下さった先輩弁理士の先生方にはとても感謝しています。
セミナーの対象は外国人の代理人及び商標実務者、米国の一般の代理人等ということでしたが、実際の参加者は全部で15人という少人数で、9カ国(アメリカ・カナダ・ドイツ・チェコ共和国・ウルグアイ・ブラジル・韓国・スウェーデン・日本)からの代理人及び商標実務者が勉強に来ていました。
セミナーの内容は前半が、アメリカにおける商標出願手続き、後半が商標侵害についてのもので、複数の米国弁護士が、基礎(米国における「商標とは何か?」)から丁寧に解説するという形式で講義が行われました。また、参加者が少人数であり、自由に質疑応答の出来る雰囲気であったため、とても和やかな雰囲気の下で勉強することが出来ました。
更に、全講義内容をカバーすると思われる厚い本が配布されたので、講義の理解に不安のある個所についてもじっくり復習することが出来、とても有意義なのものとなりました。
今回は米国商標法の理解が深まったことに加えて、様々な国の商標実務者に会い、共に勉強できたことが大変良い経験になりました。
セミナーの中には、米国特許商標庁見学もカリキュラムの中に含まれていたため、実際に商標の審査官のお話を聞く機会がもて、非常に参考になりました。(後日、米国特許商標庁の博物館のようなところにも行く機会があり、米国の知的財産の歴史に触れることが出来ました。ここでは、日本から来たと言ったら、とても歓迎してくれ、たくさんのプレゼントを渡されました。その中でも、アイディアを意味する(?) 黄色いゴム製の電球の形の置物はユニークで気に入っています。)
また、弁理士会の新人研修の講師であった先生から、日本人女性で米国弁理士として活躍している方をご紹介いただき、お会いしてお話を伺う機会をもつことができました。日本人でありながら、米国で立派に弁理士としてご活躍なさっており、しかも素晴らしい経歴をお持ちになりながらも、気さくに米国弁理士事情等をお話下さり、遠い国でもこんなに頑張っている方がいるんだと大変感銘を受けました。
セミナー終了後は、幾つかの在米の法律事務所を訪問し、ますます視野を広めることが出来ました。
米国に行く前も、短い期間ながら、何度か現地代理人と書簡のやりとりをすることがありましたが、いつも顔の見えない代理人との書簡のやりとりだけで、無機的な印象をもっていました。しかし、今回、実際に仕事でつながりのある代理人と会えたことにより、相手に対して親近感が増しました。今後は、人と人とのつながりを大事に仕事が出来るようになれればと思っています。
今後、弁理士の数が増大することが予想されていますが、この経験を生かして、今後も一層の勉学に励み、信頼される弁理士になりたいと思っています。
大きくなる話
中 野 寛 也(稲門弁理士クラブ)
ここは、新潟県のスキー場である。時は、昨年の1月のことである。ここでは、通常、スキーヤーは、国道に面した駐車場(けっこう広い)からロープーウェーに乗り、ゲレンデに向かう。我々は、男女合わせて5人の集団を形成し、このゲレンデでスキーやスノボーを楽しむことになった。
その日は、5時近くまで滑って遊んだ後、下山することとなった。下山ルートは、ロープウェーを使って降りるメジャールートと、下山コースを滑って降りるマイナールートとを選択できる。このとき、H嬢が、「下山コースは、昔滑って降りた記憶があるが、けっこうコースの幅は広かったよ。」と言った。また、下山コースは、泊まる宿まで都合よく繋がっていた。そこで、我々は、迷わず下山コースを滑って降りる方を選択した。これが事の始まりであった。
下山コースは、実際に滑ってみると、けっこうコースの幅が狭かったので、スノボーを使っていたK嬢は、ちょっと滑り降りたところで断念し、「やっぱりロープーウェーで降りる。」と言い出した。ロープーウェーの乗り場は、その地点から直ぐそばに見えていた。そこで、今回のツアー企画者のO君が、「じゃあ、ロープーウェーの降り場(前記駐車場内)付近の目立つ場所で待っててね。後で車で迎えにいくから。」とK嬢に伝えた後、K嬢と残り4人のスキー組とは分かれた。このとき、我々4人は、K嬢がスノボーを脱ぎ、とぼとぼとロープーウェーの乗り場に向かって歩き始めるのを確認した。
スキー組の4人が宿に着いた後、O君は、宿の主人とともに、ロープーウェーで麓の駐車場に降りたはずのK嬢を車で迎えに行った。ところが、O君とK嬢は、なかなか宿に戻ってこなかった。そのうち、O君から電話があり、「K嬢が見つからない。」と言ってきた。「もう少し、駐車場周辺を捜してみる。」ということで、その電話は切れたが、次にO君から電話がかかってきた時には、かなり話がややこしくなっていた。
電話の内容は、K嬢を捜すのに捜索隊が出るというものだった。私は、宿でH嬢と「捜索隊?冗談でしょ?そんな状況じゃなかったよね。捜索隊が出たら、何百万円とられるんだろう?」というような会話をしていた。その時は、既に日もどっぷり暮れ、夜になっていた。
O君は、最初、H嬢が見つからなかった時、駐車場の係員に場内放送して欲しいと、2度、3度と頼んだようだ。ところが、何故か放送はされず、時間だけが経過したので、宿の主人がパトロール隊の事務所の人を知っているから、頼んでみようということになったそうだ。その時には、既に駐車場は閑散とし、駐車している車や人影は殆ど無かったようである。O君は、パトロール隊の事務所でも、場内放送して欲しいと頼んだそうだが、パトロール隊の隊長は、駐車場にいないということは山(ゲレンデ)で遭難したんだという判断をし、O君の場内放送の頼みを聞き入れることなく、K嬢を捜索することを決定した。しかし、パトロール隊が山を捜索しても、K嬢を見つけることはできなかった。O君は、その間ずっと、パトロール隊の隊長に「何故、単独行動させたんだ!!」と怒られていたそうだ。私が今思うに、K嬢は子供ではないし、我々と分かれた時は危険な状況とも言えなかったので、隊長に怒られていたO君は、きっと理不尽に思っていたに違いない。
結局、K嬢は、その後暫くしてパトロール隊の隊員により発見された。発見場所は、なんとパトロール隊の事務所の直ぐ裏手(前記駐車場内)にある電話ボックスの中であった。パトロール隊の隊員は、電話ボックスの中にいるK嬢を発見した時、「~さんですか?」と尋ねたそうだ。しかし、K嬢は、当然、自分が捜索されているという事実を知らず、パトロール隊の隊員が自分の名前を何故知っているのか不思議に思ったそうだ。後で、K嬢に何故、電話ボックスの中にいたのか尋ねたところ、最初は電話ボックスの外にいたが、寒くなってきたので中に入ったということだった。では、何故、そんな目立たないところで待っていたのか尋ねたところ、電話ボックスは光っていたし、国道側にあるため、車で迎えにくる場合には見つけ易いと思ったそうだ。また、何故、宿に電話してこなかったのか尋ねたところ、どうせスキー組が、狭い下山コースで降りるのに苦戦して遅くなっているに違いないと思っていたそうだ。
まあ、とにかく8時過ぎには5人揃って夕食にありつけたし、捜索隊を出しても何百万円請求されることも無かったし、事なきを得た。
ここで、今回の騒動の原因を考えてみると、
①曖昧な記憶で下山コースはけっこう幅が広いと言ったH嬢。
②安易に下山コースを選択した我々。
③K嬢を一人だけロープーウェーに行かせた我々。
④電話ボックスの中に入っていたK嬢。
⑤場内放送をしなくてよいと判断したパトロール隊の隊長。
が挙げられる。
このうち、①~③は、よくある事である。④の行動にも多少疑問が残るが、O君いわく、自分が頼んだ時に直ぐに場内放送してくれていれば、たとえK嬢が電話ボックスの中にいたとしても、今回の大騒動は起きなかったということである。
してみると、駐車場にいない(そもそも、この判断が間違っていた。)のだから山で遭難したに違いないというパトロール隊の隊長の判断により、話が大きくなってしまったようである。
隊長は自分の仕事柄、万一を考えて行動する。だから、直ぐに最悪の事態を想定し、待ってましたとばかりに行動や決断に及ぶと考えられる。その人に与えられた仕事や役割というものは、そういうものなのかもしれない。話は少し違うが、芸能スキャンダルや警察不祥事等のニュースも、話を大きくするのは、報道を専門の仕事とするマスコミであり、田中真紀子代議士の発言が問題だといって大きく取り上げるのも、自民党の某委員会を構成する専門の委員がいるからであろう。
しかし、ある仕事や役割について、専門の係、担当、委員等がいても、必ずしも、いつも話が大きくなっていくわけではない。自衛隊の隊員が、いつも戦争を起こしたがっているわけではないことを考えれば納得できることである。話は、大きくなる場合と、小さくなる場合とがあるのだろう。
近況について
小 林 龍(稲門弁理士クラブ)
はじめに
何ぶん、経験が浅いため「何だ当たり前じゃないか」と思われるような記載もあろうかと思いますが、自己紹介程度のつもりで読んでいただければ幸いであります。
仕事のこと
現在、私はある企業の知的財産業務に携わる企業内弁理士をしています。
現在の業務内容は、出願・中間・管理業務、ライセンス交渉・契約書の作成、実施実績調査、社内発明者補償から発明相談、技術者への特許教育まで社内の特許業務全般に広く及んでいます。したがって個々の業務に対する取組みが浅くなりがちな反面、多種多様な経験を数多く積めるチャンスに恵まれている環境であります。
また、私の勤務する企業はいわゆるユーザー企業でありメーカーの知財部ような大きな部署がないため、知的財産管理体制が十分に整っていないところもあります。ですので業務の中長期テーマとして組織作り・制度作りがあり、他の企業内弁理士の業務とはまたひと味違う面白さがあります。
最近は、社内の休眠特許の活用に取り組んでいます。休眠特許というより、使用されていても専ら社内使用というケースです。ユーザー企業なので、自社使用の発明は出願さえしておけば独占排他権を維持する必要は本来ありません。さりとて、現に社内で活用され社外実施の可能性のある特許発明を放棄してしまってよいのかどうか、権利維持要否判断には常にジレンマがつきまといます。有用であっても世に知られていない発明をどうPRするか、それは現職場に配属されてから以来の課題でもありました。
ところが先日、あるメーカーの知財担当の方から共同出願発明を(財)日本テクノマートの特許流通データベースに登録したいという相談を受けました。以前から興味があり、話を伺ってみると以外と簡単なので、ついでに当社単独で出願している発明も登録してみようという気が起こりました。この方は、私が今の箇所に配属以来いつも親切にしていただいている方なのですが、このときも忙しい中登録手続について色々教えてくださいました。
上司からも快諾をもらい、目下、登録する件名を事業部署と協議中といった段階です。その後は登録件名の精査、登録データの作成、登録作業と細かな作業が続きます。そして、ちょうどこの『日弁』が発行される頃に登録手続完了ということになっていると思います。
行き当たりばったりの感が否めませんが、今まで埋もれていた発明をインターネットで情報発信するという、私なりの「突破口」を開いたつもりですので、これを契機に何らかの結果が生み出せればよいなと、非常に期待しています。
趣味のこと
私はパソコン歴が長いので、その話をしたいと思います。ただ、それではあまりに月並なので、少しひねって「私のPDAの活用方法」について書きたいと思います。
PDA(携帯情報端末)とは、電子手帳の一種です。PalmPilot、WindowsCEやザウルスなどの機種が有名です。手帳については、「やはり紙の方が…」という方も多いと思います。やはり、電子手帳を使うには手帳を大幅に上回る魅力がなければ乗り換える必要は感じないでしょう。
その点PDAは、後からソフトウェアを入れることができ、自分に必要な情報を携行できるように特化させることができます。私の持っているのはPalmPilotというPDAですが、追加できるソフトの種類が多くとても重宝します。そのうち、おすすめの使用例を紹介いたします。
時刻表ソフト。飲み会が多い方や勤務先までの乗換えが多い方に便利です。パソコンの時刻表ソフトに附属しているものがありますので、それを使うと時刻データの入力の面倒がありません。
経路探索ソフト。目的地までの電車の乗換え手段を教えてくれます。外出の多い人向けです。
画像表示ソフト。地図を入れておくのに便利です。出張や飲み会の多い人向けです。
文書ソフト。ちょっとした待ち時間に仕事の文書を入力しておき、帰社してからパソコンで清書という使い方ができます。パソコンと違いスイッチを押せばすぐに使えるので電車の中での使用でも実用的です。また、条文を入れておけます。
単語帳ソフト。語学を勉強し直している新人弁理士の方に役立ちます。単語帳は管理や携行が面倒ですが、PDAに入れておけばいつでも持ち歩き、電車の待ち時間、移動時間などに見ることができます。
家計簿ソフト。高い基本書を買い漁った挙げ句金銭感覚が麻痺して貯金が全然貯まらない新人弁理士の方(私。今もそう(笑))にぴったりです。
これで全てではありませんが、これらの機能を80×120×15mm程度の小さな筐体の中に納めることができます。携行しても邪魔なサイズではありません。移動時間などを有効に利用するためには非常に便利な道具だと思います。
PDAへの入力はパソコンから行うので、パソコンをお持ちの方というのが前提になりますが、興味を持たれた方は検討されてみてはいかがかと思います。
おわりに
とりとめのない話が続きましたが以上が私の自己紹介です。
弁理士登録以来、身分不相応な信頼に対する義務感からかなり無茶をしてきましたが、経験不足を痛感し、やはり、周りの方々相手の豊富な経験に補ってもらうことが大切なのかなと今さらながら感じることが多くなりました。
最後に、今回このような執筆の機会を与えてくださった会誌委員の先生に感謝いたします。有り難うございました。