お知らせ
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日弁(にちべん)は、日本弁理士クラブの略称・愛称です。
日本弁理士クラブは、PA会、春秋会、南甲弁理士クラブ、無名会および
稲門弁理士クラブの5会派で組織されています。
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■■■日弁の構成会派である『稲門弁理士クラブ』の特集(第2回)です■■■
<<稲門弁理士クラブ旅行会の巻>>
2012年も暮れが近づいてきた頃、私たちは、“ゆかたの似合うまち”城崎
(きのさき)温泉へ行くことになった。
城崎温泉ってご存知ですか。そこは、兵庫県の日本海側にある“歴史、文学、
そして外湯のまち”なのです。
いよいよ出発日の2012年12月8日となった。その日、ゴルフ組を含む
一行は、羽田を飛び立ち、伊丹空港に着いた。天気もよい。ここまでは順風
満帆の旅だ。そして、飛行機を乗り継ぎ、午前便で但馬空港へと向かった。
機内でくつろごうとした矢先、それは、始まったのだった。
急に飛行機が大きく揺れ始めた。外は、雲も厚くなり、どんよりと薄暗い世界
が広がっている。但馬空港に着くころには、大吹雪に近い状態となり、飛行機
は、右に左にと大揺れとなった。それでも、さすがに現代の飛行機だ。但馬空港
の上空までたどり着いた。それはそうなのだ、ライト兄弟の飛行機とは性能が
違うのである。
飛行機は、着陸態勢に入り、機内の私たちの目は、但馬空港の滑走路に描か
れた「但馬」の文字を捉えた。次の瞬間、私たちの誰もが“えっ!!”と思う
と、飛行機は滑走路をなめるようにしてグイーンと、まるで映画のように上昇し
てしまった。それから15分ほど旋回していた。ダイ・ハードじゃあるまいし、
空港で旋回なんて、そんな殺生な。その後、なんと飛行機は伊丹空港に戻って
しまった。
* * *
さて、ここまで書いておきながら、実は、筆者はこの旅行会に参加していな
いことを、簡単に、ばらしてしまおう。要するに、伝え聞いた話なのだ。
しかし、筆者は、2年前の稲門弁理士クラブ旅行会を思い出した。あの幻の
沖縄旅行会を。
2010年10月28日、その日は、沖縄に台風が接近していた。台風の
季節を避けて企画したのに、なんでこの時期に台風なんだと思いつつ、筆者は、
皆よりも一足早く、一人で現地入りすべく、羽田空港へと向かった。
しかし、大型の台風が接近しているというのに、飛行機は、何故か欠航になって
いない。やむなく搭乗すると、予想に反して飛行機は沖縄へ向かって飛び立って
しまった。
そして、読者諸氏のご想像の通り、那覇空港に接近すると、飛行機は踊った。
左右にというよりも、上下に揺れた。揺れたというより、エレベータのように
ストンと落ちる現象が何度となく繰り返された。その都度に、女性の悲鳴や
子供の泣き叫ぶ声が機内にこだました。だが、またもや予想に反して飛行機は
着陸態勢に入った。この飛行機を飛ばしているパイロットは、根性があるのか、
それとも大量殺人を恐れない単なる冒険野郎なのか、そんなことはどちらでも
いい、自分だけは殺さないでくれと祈ったが、なんと着陸してしまったので
ある。飛行機は、その次の便からは、Uターンか欠航となったので、自分が
沖縄に最後に到着した人間となった。
その翌日の2010年10月29日、自分は、皆と合流する予定であったが、
誰にも会うことはできなかった。当然である。台風が来ていたので、皆はキャ
ンセルして来なかったのである。
しかし、2010年10月30日には、台風は過ぎ去り、うそのように好天
となったので、自分は、一人でオプショナルのスキューバ・ダイビングをこなし、
さらに、皆で行く予定だった美ら海水族館や首里城を一人でまわり、何事も無か
ったかのようにスケジュールを消化して東京へと戻った。この一人旅は、旅行会
だったのであろうか、それとも幻の旅行会と呼ぶべきものなのか。。。
* * *
さて、話を2012年に戻そう。
ゴルフ組を含む午前便の搭乗者は、伊丹空港へUターンしてしまったわけだが、
午後便の予定者は、はじめから飛行機が飛ばなかったので、命拾いをしたことに
なる。いや、午前便も墜落したわけではないので、命拾いというのはオーバー
かもしれない。
そして、午前便の人は、伊丹空港に戻ってから、バスで新大阪まで行き、
1時間並んで特急の自由席を確保し、やっと城崎温泉へたどり着いた。
一方、命拾いをした午後便の人は、伊丹空港から宝塚に移動し、そこから
特急で4時間かけて城崎温泉へたどり着いたが、気の毒な午前便の人のことが
判らずじまいであった。
12月8日というのは、真珠湾攻撃の日(1941年)であり、ジョン・
レノンが凶弾に倒れた日(1980年)でもある。こんな日を出発日に選んで
しまったのが、悪かったのか。いや、まてよ、12月8日というのは、筆者が
婚姻届を提出した日ではないか。そんな悪い日であってはならないのだ。
それとも、この旅行会に参加しなかった筆者が、デーモンなのか。。。
翌12月9日となり、帰りも、飛行機は飛ばず、新幹線帰りだ。現地で
買った一升瓶を持ち込んで特急で酒盛りを開始した。座席を回転させて6人
向かい合わせの空間を作り、4人で占拠していたが、車内が混んできたので、
2人分の空席箇所に、関西のオバチャン2人が座ってきた。その後も、この
オバチャン達とコミュニケーションをとりながら、東京へと向かったが、
暫くすると、オバチャン達は、危ない連中だと思ったらしく、途中から
コミュニケーションが消滅したそうである。
最後に、旅の中身をまったく書いていなかったことに気付いたが、オマケ
のように書いておくと、雪の中の湯めぐりと、カニ懐石は、もちろん申し分
なく、最高であったそうな。
(文責 日本弁理士クラブ ホームページ委員 中野 寛也)
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