会報第24号・私の立場、わたしの仕事

[会 員 だ よ り]

私の立場、わたしの仕事

小 池 龍太郎(稲門弁理士クラブ)

 いろいろと面倒なことがあったが、ブリティッシュ・カウンシル・スカラーであった1960年に英国電気学会(The Institution Electrical Engineers)に入会できた。それ以前には日本人会員はいなかったようだから、日本の大学のカリキュラムについて詳しく説明をしてあげなければならなかった。日本人のフェロウ会員第一号でもあるので、会員と会員になりたい人とに対するアドバイザの奉仕をしている。英国の学会は学問の団体であるとともに資格付与団体であり、正会員(Member, Fellow)はChartered Engineerとなる。これになるためにはインタビューを受けねばならないとされ、私はそのインタビューワを仰せつかっている。日本ではいま技術士の制度を見直そうと、科学技術庁も文部省も通商産業省もそして学術会議も活動している。私もまた日本機械学会の中にある委員会で英国の制度を紹介するボランティアワークに参加している。「忙しい」とか「忘れた」とは心が亡んだ状態をさすから私の嫌いな言葉であるが、こんな次第でいろいろとやるべきことのある恵まれた、そして若い時に留学の機会を与えてくれた英国民への感謝の日々を送らせてもらっている。

 あと2年ほどで古希を迎えるのだが、幸いなことに、製造会社を定年退職した後の第二の人生を送る私に今、弁理士として多くの仕事が与えられている。主な依頼人は英国を代表するBの付く複数の会社で、日本国特許庁への特許出願を任されている。知的財産の権利化のために、標準的日本人以上に良い日本語で書かれた発明の詳細な説明とクレームを英文から作り上げて、立派な特許権を確立してあげるのが私の務めである。学校では教えていただけない英語表現を日本語にするには、原英文起案者と心の通い合うことが大切であると感じている毎日であり、本当に難有いことに、若い時に学んだことがここで生きていると思えるのである。

 欧州特許庁は出願人に特許権を与えるのが仕事だと自らが言うくらいだから、比較的簡単に特許が取れるやにみえる。それにくらべて、日本のエリート官僚は、私には真面目すぎるようにみえて、審査官御自身が内容をことごとく理解されないとなかなか通してはくださらないようである。ガバメントオフィサにはシビル サーバントのように「疑わしきは出願人の利益に」の思想は見出だし難い。だから、英国人にとっては日本で特許が取り難いと思ってしまうようである。文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、この違いを彼等にどう納得させるかはなかなか難しい。漢字の文化を説明してあげるのはその一つの手で、心が亡んだ「忙」とか「忘」とかは良く意味が通じる。料理の世界でいう味付けの順序の「サシスセソ」は、砂糖塩酢は問題なく,セウユ(醤油,soya sauce)のセまではなんとか分かってもらえるが、味噌のソはそうはいかない。でも、だからこそ日本向けには特殊の味付けをと結ぶ。禅の心を詠んだという「闇の夜に鳴かぬ烏の声きけば 生まれぬ前の母ぞ恋しき」つまり五感と時間とを超越したときに人はなにを思うかの問いには、「母」との答えが帰ってくる点では共通していることを確かめた。がしかし、日本人最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士がお好きだったとうかがった「白妙の富士の高嶺に煙見えて 行方も知れぬわが思いかな」は上の句と下の句との間にある独特な閃きにこそ味わいがあるのだが、こういう発想の飛躍や展開は非論理的でありすぎるから、シェークスピアにもないのだそうである。ユニークな閃きがあって,この発明が生まれたことを特許出願書類に書くように勧め、そうすれば特許されますよと申上げている。

 蛇足に白足袋を履かせることになろうが、私のノートから最近の話題を拾ってみることにする。
 ロンドンの地下鉄でヒースロウの終点に近づくと、“Do not leave anything behind,” という車掌のアナウンスが聞かれる。日本の電車で“お忘れ物ございませんように”というアナウンスを20年前には不思議そうに聞いていた国民の国でのことである。もっともこれは、アイルランドの爆弾テロリストの事件が発端で始まったアナウンスと聞くから、“不審物を残して立ち去るな”という訳の方が正しいようである。
 ブリティッシュ・レールウエイ(BR)にも近年では優先席と言うのがあって、お年寄り(elderly person),身障者(handicapped person),子供を抱えている人(those carrying children)に席を譲れ(give up your seat)と書いてある。ここで、child ではなく children としてあるが、子供を一人しか連れていない人も指すことを知るまでには少々の勉強をした。英語で一般名詞をいうときには a+noun か、複数名詞を使うのが英文法のようで、従って、複数名詞を is (are ではない)で受けることがある。たとえば Data is shown. がそれである。
 技術者に限らず、最近やたらとアクロニム(頭字語)を使う人が多くて悩まされる。通信の分野では STD は加入者Sが幹線TをダイヤルすることDだった。今では、日本からも英国からも互いに相手を電話で直接ダイヤル呼び出しする STD が当り前になってしまったから、この用語は死語になりつつある。でもきっと、お医者様方は STD と聞くと別なことをお考えであろう。エイズ、クラミジア感染症などといった STD(性的感染症)の今日的意味を日本では、研究社のリーダーズ英和辞典が第2版(1999)になってようやく取り上げた。この辞書は cool に marvellous の意味を載せてはいるが、COD 9ed.(1989)のように street credibility, 略してstreet-cred までは取り上げていない。職場で若い女性にクールでどんな人をイメージするか尋ねたら、素敵な人とか、格好いい人と言う返事が多いから、クールはどうやら日本でも定着してきている現代の外来語のようだ。でもホットデスキング(hot desking, COD 9ed. & 10ed. 1999)はまだのようである。この言葉は,CTI(Computer-Telephon-Integration つまり計算機と電話との統合であり、NTT(日本電信電話株式会社)の会社案内にも登場する)というエレクトロニクス最先端の技術思想と関連して出てくるときには、[仕事に合わせた机の割当て]からの意味の転化があって、机に向かって長時間座ったままで何でも用が足りてしまい、お尻の椅子が温まるような職場環境を指していると言うことを英通信会社BTの第一線研究者から教わった。
 色々な表現や言葉の移り変わりに付いて行けるのも楽しいことなのであろうと、自分に与えられた仕事に勤しんでいる毎日である。

Top > 会報第24号・私の立場、わたしの仕事