会報第24号・弁理士であること

[会 員 だ よ り]

弁理士であること

後 藤 政 喜(PA会)

 夜の8時になろうというのに、夏の日はなかなか落ちず、超高層ビルから見下ろすシアトルの湾内には、大きく傾いた夕日を浴びながらフェリーが対岸に向けて緩やかに進んでいる。

 シンポジウムのレセプションは、そのビルの2つのフロアーを占有し、上下の階が内部で吹きふけの螺旋階段で結ばれている豪華な法律特許事務所で行われた。米国の著名な判事、大学教授、弁護士、ヨーロッパ、アジアの知的所有権関連の法律家、さらには何人かの日本からの参加者などが集い、ワインやカクテルグラスを手にしながら、落ち着いた和やかな雰囲気のなかにも、特許を巡る法律論にはなを咲かせている。

 ワシントン大学のロースクールが主催した約一月半に及ぶ第1回目のサマーインスティテュート(キャスリップ)に参加してから5年が過ぎた。そのキャスリップが期間中に主催するシンポジウムのために久しぶりで訪れた大学では、当時は新進の準教授として講義を受け持っておられた竹中さんも、チザム教授の去ったあとの運営を立派に引き継がれ、立ち振る舞いにも自信に満ち溢れ、十二分の成果を上げておられる様子がありありと伺える。最近は日本から裁判官や特許庁の審査官の参加もあるという。ロースクールでは米国の特許法の講義をもたれる一方で、米国法と対比させながら日本の特許法や実務を米国に紹介される努力は、今までの誰もがなしえなかった、新しい試みであり、日本の現状に対する理解を深めるのにどれほど有意義なことであろう。

 TLO に関するシンポジウムであったが、ワシントン大学では大学の予算の20%を越える部分が、大学のもつ特許などからの収入だそうで、日本と比較してその数字の大きさには驚かされた。医学、医薬関係の特許が収入源の多くを占めている。

 いつしか薄暮から暗さを増した湾内には宝石をちりばめたような美しい夜景が広がっている。
 その事務所に勤務する若い女性の弁護士に問われた。日本の弁理士は訴訟はできるのか。特許庁のした審決に対する訴訟の代理は可能だが、特許権の侵害訴訟を直接代理することはできない。弁護士が必要、補佐人として法廷にでる。実務的には弁護士に近い。米国のエイジェントとは違うのか。違う。どうやらパテントアトーニーという弁理士の英訳に問題があるのか。隣で立ち話をしていたT社のリーガルカウンセラであるH氏が口を挟んだ。弁理士と弁護士の違いをドイツの制度をひきあいに正確に説明する。日本の事情にとても明るい。ところで、あなたはどうして弁理士になったのか。私に質問がむけられた。どのようにとは、試験か審査官からか。そうではない、動機だ。うーん、動機ネ。弁理士になってかなりの年数がたつが、あらためてどうして弁理士を選んだかと問われると、さまざな要因のせいか、直ぐには明確な答えがでない。

 すべてにそうなのだが、欧米人はこのようなときに実にはっきりと持論を述べる。なぜ好きか、なぜこのような行動をとるか、なぜ反対なのか、理路整然と説明できる。多くの日本人はふつう口にしない、省いてしまう、ごく当たり前のことも順を追ってきちんと説明する。雑多の人間で社会が構成されていると、何事にも自己の考えをはっきりさせる必要がある。そうしないと違いは違いとして、お互いが理解できない。

 どうして弁理士か。うまくまとまらなかったが、次のような意味のことを話した。子供のころ、私の父は貧しいながらも小さな町工場を営んでいた。注文をうけて何かの部品を作っていた。非常に器用なアイデアマンで、注文主の難しい要求にもたいてい答えることができた。そんな父は私の自慢であった。残念ながら自分には父のようにいろいろのアイデアは湧いてこない。しかしアイデアを聞いたり、形になっていくの見たりするのは楽しかった。父にせがんでよく本を買ってもらった。そのなかにエジソンの伝記があった。自分の年齢にとってはかなりの厚さだし、字も難しかった。エジソンは好奇心がつよく、ただし好奇の対象はそのまま信じようとはしなかった。なぜそうなるのか、自分なりに理解し、納得するまで思いを巡らした。そしてさまざまな分野で数々の素晴らしい発明、発見をした。夢のような、新鮮な驚きと感動であった。最終的な選択の決断は、職業的な自由さ、独立性、収入などもっと現実的な理由だったが、あるいは原点はそんなところにあるのかも知れない。発明者と発明について議論したり、発明が完成するまでの苦労話を聞いたりするのは興味がつきない。自分までが何か大発明をしたような気になる。そんなときはこの職業を選んで良かったかナ、と思うことがある…。

 すると、発明とは人類に対するギフトさ、H氏が口を開いた。交通、通信、医療、住宅、娯楽、さまざまな分野で新しい発明がどれほど人々の生活を豊かに、便利にし、また夢を現実にしてきたことか。私にとって発明とは日常の一部である。ためにあらたまって発明の意義を問うことはなかった。しかし、発明とは人類にとってかけがえのないもので、人類に対する贈り物なのだと、そう言われて、あらためてその重要性に思いを馳せた。もちろん日常扱う発明になかなか大発明はない。目には見えにくいが、地味な発明の積み重ねがやがては素晴らしい技術の発展につながる。

 そんな発明を毎日の仕事として扱っている我々の仕事はなかなか捨てたもんじゃないよ。うーん、そうか。言われて思わずジーンとなった。少し過ぎたワインに酔ったのかもしれないが、瞬間、つくづく弁理士であることの充実感にひたることができた。いまでも彼の言葉は大きなささえや励みとなっている。そしてまた、こうしていろいろな国の人々と友人として接することのできるいまの職業環境にあらためて感謝せずにはいられない。

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