会報第24号・ゲームなるもの

[会 員 だ よ り]

ゲームなるもの

鈴木 俊之(稲門弁理士クラブ)

 縁あって6年間ほどゲーム業界の特許屋として内部からゲーム業界を見る機会がありました。ゲーム業界は、今でこそ時代の寵児として脚光を浴びていますが、私がゲーム業界に入った頃は「なぜゲーム業界?」という声を聞くことも少なくありませんでした。その時代から考えると隔世の感を強くします。

 今だから言えることですが、自分自身も、ゲーム業界に就職するに当たって不安がなかったと言えば嘘になります。ゲームで遊ぶのは好きだったので、その延長線でたまたまゲーム業界への求人があったときにあまり悩まずに応募してしまったのですが、周囲にゲーム業界関連の知人もおらず、全く知識がないまま入社日を迎えることになりました。とは言うものの、丁度ゲーム業界が市民権を得て隆盛を迎える時期を内部で経験することができて、大変楽しく過ごすことができました。
 結果的に6年間ほどでゲーム業界を去ることになりましたが、その時の経験を含めて、ゲームについて思うところを少しお話ししようと思います。
ゲーム業界の特許
 「ゲーム業界の特許」という言葉に違和感を覚えられる方も多いと思います。なぜゲームに特許が認められるのか、吉藤さんの特許法概説には発明でないものの一例にゲームって書いてあったが、最近の特許庁は違う取り扱いをしているのか、など…。この謎を解くには、ゲーム業界の業務内容を説明しないと理解していただけないでしょう。
 ゲーム業界の業務内容は、大別して家庭用ゲーム(普通「ゲーム」といえばこちらですね)に関するものと、業務用ゲーム(ゲームセンターに置いてある機械です)に関するものとがあり、それぞれ、ゲーム機(ハードウェア)を提供する業者とソフトウェア(基板という形で販売することもあります)を提供する業者とが存在します。

 従って、ハードウェアに関する特許は、例えば電気であれ機械であれ従来からある特許の範疇で処理できるものであり、たまたまゲームに適用されている(とは言ってもゲームに適用するための工夫は並大抵なものではないのですが)だけのことです。また、ソフトウェアに関する特許ついても、ソフトウェア特許の範疇で処理できるものです。

 しかし、厄介なものがあります。実は、ゲームソフトウェアに関する特許の中に、ゲームシステムに関する特許があり、これについては相当の違和感を覚えられることと思います。
 ゲームシステムとは、つまりゲームのやり方についてであり、コンピューター上でこのようなゲームシステムを実現しました、という特許が認められています。一番有名なものとしては、ファイナルファンタジー IV という名前のロールプレイングゲーム(RPG と省略することが多いです)において初めて採用された、味方のキャラクターと敵のキャラクターとが戦闘をする際のシステムに関する特許です。より詳細に言えば、従来の RPG では味方側のキャラクターが戦闘方法を決定するまで敵側のキャラクターは攻撃することがなかったので、緊張感に欠ける結果となっていたので、敵側のキャラクターが個々のタイマーを持ち、そのタイマーが計時終了したら味方側の戦闘方法決定を待たずに敵側のキャラクターがかってに攻撃を開始するようにした、これにより、戦闘時の緊張感を持たせたゲームが実現できる、というものです。
 この、ファイナルファンタジー IV 特許(と業界では呼んでいます)の内容を聞かれて、大抵の方は驚かれると思います。が、誤解のないように付言すると、このファイナルファンタジー IV 特許であっても、実際はコンピューターの制御に関する特許の形態になっており、一般のソフトウェア特許と何ら変わるものではないし、ゲームのやり方そのものに関して特許が取得されたのではない、ということです。逆に、ゲームに適用したからと言って特許性が否定されることはないわけです。こういった議論は、最近ビジネスモデル特許と呼ばれる、ビジネスモデルを IT(情報技術)を利用して構築したものに関する特許と同様です。私からすると、ビジネスモデル特許に関する議論は、既に何年も前からしてきたことであり、ビジネスモデル特許が脚光を浴び始めた頃も私はあまり大きな衝撃を受けることはありませんでした。

ただ、一番悩ましいことは、大抵の場合、ゲームシステムに関する特許における「発明が解決すべき課題」が技術的内容ではなく、人間の感性や感情に関するものであることでした。曰く、「楽しいゲームができる」「ゲームをしていても飽きない」(もう少し格調高い言い方をしますが)など。よく、特許庁は「発明は技術的思想の創作であるから、発明が解決すべき課題も技術的なものでなければならない」といった趣旨の説明をしますが、この説明を見るたびにゲームシステムに関する特許の特殊性を思い知らされました。

 思うに、発明が解決すべき課題は、その発明が応用される分野に投影されて理解されるべきものであり、従来は発明そのものが技術分野に応用されていたので発明が解決すべき課題も技術的である、との理解が成立しました。しかし、コンピューターが適用される分野の拡大に伴い、ゲームなどの非技術分野への応用が盛んになり、その結果、発明が解決すべき課題も、コンピューターを適用することによりどのようにゲームを楽しくするかと言った非技術的なものに移行したと言えます。この点、特許庁が、「一部に技術的でない要素を含んでいても全体として技術を利用したものであれば『産業上利用することのできる発明』に該当する」との立場に立っていることに呼応します。ちなみに、こういった議論もビジネスモデル特許に該当します。

ゲームを作る人々
 ゲーム業界が人口に膾炙するようになり、それに伴ってゲーム業界が、新社会人が選択する業界の有力な選択肢の一つになっています。実際にゲーム業界内にいて、非常に優秀な人材がゲーム業界への就職を選んでいることを実感しました。

 このように脚光を浴びているゲーム業界ですが、その中にいる人々は、非常に普通の人であることに驚かされました。考えてみると、ゲーム黎明期は数人の才能ある人材が非常に短期間でゲームを制作していましたが、現状は非常に緻密なスケジュールに則って細分化されたチーム制により長期間をかけてゲームを制作しているのであり、ゲームに関する才能は不可欠であっても、それに加えて「普通の社会人」であることが望まれるわけです。言い換えれば、それなりの協調性を持ち、バランス感覚を持ち合わせた人材でなければ優秀なゲーム制作者とは言えない、ということです。これは、外部から優秀と言われるゲーム制作者ほどその傾向が強いです。

 当然、寝食を忘れて仕事に没頭することもあり、しかも制作機器はほとんどコンピューターですからディスプレイの前での仕事が非常に長時間に亘りますから、傍目で見ていると通常のデスクワークを見慣れている人には若干の違和感があると思いますが、これはゲーム業界に限ったことではなく、コンピューターを相手にする仕事であれば大差ないことをしているはずです。

 更に言えば、巷間言われる所謂「ゲームおたく」らしき人は、どちらかというと少数派に属することにも驚かされました(これは私が在籍した会社がそうだったのかもしれませんが)。尤も、外観は種々雑多であり、私がゲーム業界にいる間に髪の毛の色と服装についてはかなり免疫ができてしまい、過激と言われる原宿の街を歩いてもそうそう驚くことがなくなってしまいましたが。

 「ゲームおたく」というのは、私が考えるに、ゲーム及びゲームが提示する世界観が、自分の世界の殆どを占めている人々のことを指します。しかし、ゲームを制作するためにゲームの世界のことだけを考えていたのでは、人々を感動させる良質のゲームを制作することはできません。ゲーム制作者は、そのゲームにある意味で自分が有する価値観であるとか世界観であるとか、端的に言えば自分の分身を投影するようにしてゲームを制作します。そして、投影するものが豊かであればあるほど人々に広く受け入れられるゲームが制作できるのです。特に、ゲームをする人々の目が肥えている現在、浅薄なコンセプトや世界観を提示しただけのゲームでは人々の感動を呼ぶことはありません。

 今、こうやってゲーム業界のことを振り返ってみると、非常に良い経験をさせてもらった、との認識を新たにしています。そして、私自身はずっとゲーム業界を陰ながら応援したいという気持ちでもいます。

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